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現在社会を生きていくための金言・考え方を集めて兵法書(blog)としてまとめるというコンセプトです。

お金は旅をすればするほど景気が良くなる法則


上の動画の内容は以下の通り。わかりやすく要約してみた。


 徳川家康は天下を取ったが、江戸時代の経済自体は秀吉が考えたものが残った。秀吉の考えた経済は、一度全部を大阪に集めるという物流方法であった。そして、大阪で値段を決めから諸国に分配するという物流方式であった。
 例えば、紅花は山形で生産してもよいが、山形で紅花から口紅は作るのはダメであった。紅花は一度大阪に集められたら、大阪で値段が決定され、その後、京都に行き京都で加工されて口紅が出来た。そして、その口紅を山形の人は購入しなければならなかった。無駄なことをしているように見えるが、こうすることによって、お金がぐるぐる回って日本中の景気を良くすることにつながった。これが秀吉が考えた「秀吉流の物流革命」であり、江戸時代の間ずっとこの方式が行われていた。秀吉すごい。


お金は旅をすればするほど景気が良くなる


 お金のことを江戸落語ふうに言うと「お足」ということ、また小判のデザインは「わらじ」をモデルにしていること、これらは何を意味するかというと、お金というのは旅をすればするほど景気が良くなるということを意味しているのである。秀吉はこれを理解していたということだ。秀吉すごい。
 では、家康は何をしたか?答え、何もしていない(笑)。


昆布は江戸時代に「北海道から沖縄まで」旅した


 沖縄料理のダシをとるものは昆布である。その沖縄で使われる昆布は、蝦夷で生産されていた。江戸時代から、沖縄では北海道の昆布を手に入れて使っていたということである。昆布は、福井あたりまで輸送されていた。そして、京都に輸送されるときに、昆布と鰹節が一緒に輸送された。この昆布・鰹節の一緒に配送することを始めたときが、日本料理の基礎となる「鰹節と昆布を使った料理が誕生したという瞬間」でもあったのだった。


 徳川家光までの時代は、金山銀山が産出が続いていたので、お金をたくさん使えて景気が良かった。逆に言うと、金山銀山の産出が枯渇し始めたら、徳川幕府の凋落が始まった。江戸時代、徳川幕府が経済を牽引できなくなり、経済を引っ張っていたのは民間人になっていったのであった。


「約束を守らない事」が日本人にとってどれほど不名誉なことか


 岩崎弥太郎がお金を借りるときに、抵当(=借金の際、金が返せなくなったら貸手が自由に処分してよいと約束する、借手側の品物)としてさしだしたもの、それは「お金を返せなかったら、どうぞ私のことを笑って構いません」ということであった。信じられない。しかしこれは、日本人にとって、約束を守らなかったらどれほど不名誉であったかということを意味しているかが分かるエピソードなのである。
 海運業は、約束を守らないと仕事にならない。物流を通して、日本人は約束を守ることを文化・習慣にしみ込ませていったのであった。(自分は、土人と文化人の違いはこの当たりの歴史にあるのではないかと思う。)


(お金とは、何なのか?今、仮想通貨が静かな話題になっている。それにしても、お金とは何なのか、仮想通貨も含めて、それを知りたい。自分にはできないだろうが、三橋高明やその他の知識人の考えをまとめれば、自分が知りたい「お金とは何か」について、近づけるような気がする。また、シンギュラリティが到来した際、人間はかなり労働から解放されるのだと思う。囲碁将棋は人間を凌駕した。各種の仕事についても、ロボットやAIが人間を凌駕する時代になったら、我々の収入はどうなるのか、税はどうなるのか、あと20年ほどで到来するシンギュラリティーにも繋がる問題でもあると思う。)

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